俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

心と体を鍛え
地球上どこへ行っても
胸を張って生きられる
知的な野生人になろう

アメリカで米を作った日本人の真意

以前、サクラメントで日経二世が経営していた幸田牧場を見学した。
日本の米を作っていた。大規模な農場だ。
耕作は大型農耕機、種まきや消毒は小型飛行機から行う。
見渡すかぎり、360度一面の水田だった。

こんなに収穫してどうするのですか?

幸田さんは笑いながら私に言った。

私たちは、日本との戦争中に敵国人種と云う理由で財産を没集された。
日系人は全員、強制収容キャンプで生活した苦しい経験がある。

それ故に、祖国日本で同胞が米不足に困るような事が起きたときには、
アメリカで作った米で祖国を助けたい。
その信念で、あのカリフォルニア砂漠を開拓し、水を引き、
一大穀倉地帯を築いてきたのだ。

それから数十年経ち、経営者は米国人になり、品種改良は年々進み、味は日本に殆んど劣らない米ができている。

TPP交渉で、世界経済の国境がとりはらわれるとなれば、幸田さんたちが作った米、母国日本を助けようとした『夢の米』が日本農家を脅かすことになってしまう。

まったく皮肉な話である。

私はアメリカに住んで長いし、遠征先各国で米を食べた。
改良改善、バイオのお陰で、今のカリフォル二ア米は旨い。
日本米の最高品種に決して引けを取らない。
特に錦米はじめ週十種の米は、二世の人びとにより改良に改良をかさねられ、今日まできた。
その努力は、祖国を飢えから救いたい。しかも旨い米で救いたいという気持ちからである。もちろん、虐げられた民族としての意地もあるだろう。

そうした努力の結果として、旨い米が、日本の2分の1から3分の1の値段になった。
しかしこれでは、日本の農家は太刀打ちできないという。

もし米の自由化が実現したらどうなるか。
幸田氏の、我が米を日本へという悲願は叶う。
しかし、日本の農家は苦しむ。それはけして、アメリカのコメ農家の本意ではない。

日本のニュースを聞くと、民主党内でも参加の賛否で党内が割れていて、農協、経団連、その他の団体などのさまざまな意見があるという。

国民生活に直接影響を与える経済の重要会議について、国民に直接説明が必要と思う。
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One for all, All for one

自他共栄の精神

これは柔道の創始者嘉納治五郎の武士道精神である。

東北災害地の瓦礫処分と苦情
東京都の石原都知事が被災地の瓦礫の処分を引き受け、
埋め立てをはじめたら、
何千通もの抗議の電話やメールが都庁に入り、係りが対応に追われたという。
私は東京生まれで3代目、同じ江戸っ子として残念だ。真に情けない話だ。

鳩山君は友愛とか何とか云っていたが、昔は向こう三軒両隣助け合あったものだ。
今の東京は昔のような助け合いは無理でも、
友愛の精神には変わりはないはずだ。
あまり我欲を張らず、困った時はお互い様、
助け合いの精神だけは昔とわらず、みんな持ちたいものだ。

誇りある東京のみなさんお願いします。
自他共栄の精神が今生きるのだ。

瓦礫は埋め立てに使っていると云うから、
小松左京さんが云うように
日本が沈没しないで済むように協力しましょう。

英国ラグビーの言葉
 
One for all, All for one
      
一人は みんなの為に みんなは 一人の為に

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アメリカの学校スポーツは観戦を考慮する

■大学スポーツは莫大な収益をあげる。

秋、アメリカはフットポールシーズンである。9月に始まり、まさにいまが真っ最中。毎週末は沢山のTV局がフットボールの試合を放送する。お茶の間もスポーツバーも賑やかになる。毎週、各地で合わせて80試合以上が開催されて、観客動員は400万人以上。これが10~12月まで続く。スタジアムの入場収入は莫大となる。各地で熱戦中のフットボールを例に、米国のスポーツパワーを紹介したい。

大学フットボールリーグに参加する大学は713校あり、NCAAまたはNAIAに所属している。

その内訳は、

全米大学体育協会
NCAA(NATIONAL COLLEGIATE ATHLETIC ASSOCIATION)
 Division 1(大規模大学)27リーグ 244校  
        FBS(メジャーリーグ) 12リーグ120校
        FCS(マイナーリーグ) 15リーグ124校
 Division 2(中規模大学)15リーグ 141校
 Division 3(小規模大学)31リーグ 238校

全米大学運動選手協会
NAIA(NATIONAL ASSOCIATION OF INTERCOLLEGIATE ATHLETICS)
  9リーグ 90校
となっている。

大学フットボールは人気があるから、どの試合もほぼ満員だ。大学のスタジアムの観客席はたいてい5万人を収容可能。ミシガン大学、アラバマ大学、ペン・ステーツ大学、などの人気のある大学スタジアムでは10万人以上の観客席がある。しかも満員になる。

米国にとってフツトボールは、野球に次ぐ国技のようなスポーツだ。ただし野球と違い、格闘球技のような感覚で、米国では陸 海 空軍の付属大学も参加している。これらを合わせた9月の全米大学の試合数は、1週あたり平均80試合。4週で320試合になる。

入場券はインターネットで各大学が販売している。50ドル~80ドルと、価格はまちまち。シーズン単位のチケットなどは既に売り切れで、市場ではプレミアが加わり高値で売買され、数千ドルに跳ね上がる場合もある。

こうした観戦試合が10月から始まり、12月の決勝まで続く。ローズボールその他の約20試合も合わせると、総試合数は1000回近くになるだろう。一試合平均5万5000人が観戦したとして、シーズン合計の動員観客5千500万人。観戦料を50ドルと少なく見積もっても、合計収入は2750万ドル。21億円超となる。この莫大な売上が、全部主催大学の収入となる。
そこで興味本位に、大学競技場の収容座席数を調べた、

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(クリックで拡大)


スタジアムには個人名が冠してあるが多いが、これは大学OBや篤志家の寄付により建設されたことを意味する。

■NCAAの強大な力 アメリカンスポーツビジネス

大学スポーツはテレビ番組で放送される。土曜日の中継は特に多く、好試合の多い日はチャンネル選びで忙しい。広告媒体としても優良と見えて、米国企業だけではなく、ヨーロッパや日本の企業も協賛している。トヨタ、ホンダ、ニッサン、マツダ、ソニーなど、日本企業のコマーシャルでTV中継も賑やかになる。

こうしたTV放映権やスポンサー料、コマーシャル料などは、全米大学体育協会(NCAA:NATIONAL COLLEGIATE ATHLETIC ASSOCIATION)が取り仕切る。NCAAは1906年に発足した。オリンピツク競技をはじめ、23競技で88大会を運営している。ここに全米1200の大学が加盟し、競技選手は36万人であるという。

このNCAAによる体育選手奨学金制度が、選手育成に大きな貢献をしている。

先の2011年世界陸上選手権大会では、米国が金12を含む25個のメダルを獲得した。ロシアを引き離し、1位だ。こうした有能な選手を支える基盤として、奨学金制度というマネーパワーがある。陸上競技を例にすると、全米には100メートルを10秒台で走る選手が100人以上いる。そのほとんどは陸上の名門大学にスカウトされ、奨学金で大学進学し、活躍するというわけだ。大学スポーツに於けるNCAAの影響力は甚大である。

■日本とは大違いな学校の体育館

教育という観点で見れば、スポーツで重要な要素は勝敗やプレー内容だ。それに加えて、米国の学校スポーツの特徴は、『観衆に見せて収益を計る』であろう。だから、体育館の建設時は観客席を計画に入れている。

米国では、小学校から大学まで、全ての学校体育館に観覧席がある。たいていは移動式折りたたみ形の座席で、学校の規模により1000席から2000席ぐらいが普通だ。これに加えて、スタジアムを持つ大学もある。

そしてスポーツシーズンになると、そこで行われる試合は有料があたりまえ。高校バスケツトボールの盛んな地方では、毎試合4000~5000人の観客動員であり、学校の収益はかなりなものとなる。米国の学校はスポーツ試合で収益を得ている。もちろんそれはスポーツ教育へ還元される。だからスポーツの質がどんどん高くなっていく。
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大震災に思う - 私の戦争体験 目次

私の戦争体験
 震災津波と戦災に思う
 疎開編1 にわか農家になる
 疎開編2 疎開生いじめに遭う
 東京大空襲
 沼津大空襲

大震災に思う
 自分の身を守るために 1
 自分の身を守るために 2
 自分の身を守るために 3
 電気のない時代を生きる 1
 電気のない時代を生きる 2
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電気のない時代を生きる 2

■終戦後の耐乏生活と人間の力

震災復興救援活動と、私が体験した戦災復興が重なる。大空襲で焼け出され、命からがら逃げのびた生活。そんな66年前と今は雲泥の差。昔は働かざる者食うべからず。今は生活保護。実に感慨深い。

戦中戦後、私たちは衣食住のすべてが耐乏生活だった。老若男女、みな我慢した。日本中すべて物資欠乏だから、不平が言えない。敗戦直後、海外からの引き揚げ者には援助があった。しかし一般人に対する政府による生活保護など聞いた事がなかった。健常者は頭脳労働、肉体労働。一億みなよく働いた。「働かざるものは食うべからず」が当たり前だった。それに引き換え、今は200万人が生活保護を受けるという。終戦後の2004万人に次ぐ多さ。しかし、どうも今は「働く気力の乏しい若者中年」要するに覇気のない人間が増えただけだと思う。だからこれからの日本に不安がある。

戦後は誰も助けてくれない時代だった。町は焼け野原。しかし失業者は見当たらなかった。ほとんど皆、なにかしら動いていた。モク(タバコの吸殻)拾いに釘拾い、靴磨き。それでも生活が苦しいといって自殺する者も聞かなかった。敗戦から復興へ。夢に向かう、逆境を精神的に生きるという強さがあった。今はそれに欠けている。教育や家庭環境に問題があると思う。

今の世は、こどもに限らず誰にも過保護だ。戦後の頃は違う、何事も自分の事は自分でやった、やらざるを得なかった。生死の境を生きのびる。B29爆撃機が雨のように投下する焼夷弾。ただ逃げに逃げた。恐ろしかった。夢中で走るうちにそれも忘れた。ただ走る。あれが生死の境だった。よく逃げたと思う。あれは韮山疎開の、山の開墾労働で鍛えた体力と根性だ。

戦中戦後の一般家庭は、風呂、洗濯、飯炊き、料理など一切が人の労力だった。電気といえばラジオと部屋の明かりだけ。その他は機械モーター工業用などに使うだけ、と思っていた。だから生活に電気がなくても困らなかった。

昔は、どこに行くにも歩いた。なんでも自分でやった。だから今いう省エネも「できることは自分の力でやる」をこころがけることだ。

今まで、電気に頼り過ぎた。人間が動かなくなり、弊害として運動不足による病気も増え続けた。便利な電動化は不健康化につながり、人びとに怠け癖をもたらす。便利過ぎは、人を怠けさせる。それが進めば国を滅ぼすもとになる。このままでは日本は滅びる、日本の精神も滅びる。衣食住に足り、飽食、物余り。なにもかも過剰で便利な日本の時代は、原発事故を教訓、改める必要がある。一人一人が真剣に考え生活することだ。

わがままを控えること。便利さは人を不幸にする。何でも「自動」に頼り、便利を求める時代は終った。これからは贅沢を控え、できることは自分でやる心を養いなさい。震災直後に石原東京都知事が「我欲を捨てろ」と言った。同感だ。電気があれば何でも自動化という便利さは、過ぎると人を不幸にする。

戦後66年。復興から世界が驚くほどの経済発展を遂げた日本。しかし原発を得て電化繁栄という時代は過ぎた。世界一平和な国と言われた日本も、過去13年連続で3万人を超える自殺者だという。経済発展もいい加減にすべきだろう。

震災と原発事故を教訓に、エネルギーについて考え、自らのライフスタイル考えるときだ。長い歴史の中で常に自力更生をスローガンに国つくりをした、かつての中国を見習うべきだ。それにはまず「自分の身体は自分で管理」の率先垂範だ。自分の心と体を鍛える、なんでも自主的に行動する。電気の自動化ではなく、「自分の自働化」だ。省エネ、節電は「自働化」から。体力作り、健康管理の第一歩ともなり、節約と健康の一挙領得だ。
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電気のない時代を生きる 1

◇大地震津波と戦災

東日本沿岸各地を襲った大津波は、東北周辺地域に壊滅的な被害を残した。死者は25,000人を超えるという。現在、仮設入居者は約4割 避難者は、いまなお88,000人。発生から3カ月以上経って。復興再生の道筋すらない。事故を起こした福島原発は未だに放射能漏れが続き、収束もなお不明。今後のエネルギー政策に大きな問題を与えているという。

日本は今、戦後最大の危機に直面している。しかし政治にリーダーシップが発揮されず、連日被災者不在の政争に明け暮れるから、政治不信が続いている。その上、政府筋の発表によると、30年以内に首都直下地震の可能性があるという。予断を赦さない時だ。

戦後、日本は「世界に追いつけ、追い越せ」と驚異的発展を続けた。世界でも稀な速さで復興し、発展をとげてきた、その原動力は原子力発電である。日本は現在、世界第2の原発利用国であるという。高度成長はすべて資源の輸入と原発のお陰だった。

現在、日本には50基以上の原子力発電機が稼働しているという。原発に頼る工業国だ。工業生産、公共施設、交通機関、家庭生活環境、そして娯楽施設など、日本全国はいたるところ、電化で溢れている。街に出れば自動ドア、エスカレーター、エレベーター、広告やネオン塔……。家庭は、エアコン テレビに洗濯機、冷蔵庫 炊飯器、電子レンジ、湯沸かしポット……。被災者仮住宅には、洗濯機 冷蔵庫 炊飯器他を「生活必需5点セット」として無料で提供している。非電化な戦中戦後を生きてきた私には、なにからなにまで言葉にならない進化である。

その原発利用も限界にきたようだ。福島原発放射能漏れ事故は世界に衝撃を与えた。すでにドイツは「2022年までに、全ての原発を廃止する」と閣議で決定した。イタリアは全廃した原発の再開について、国民投票で94%が原発廃止に賛成した。他の国は次々に「原発から自然エネルギーなど、他のエネルギーへ転換」の取り組みを始めている。
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自分の身を守るために 3

◇気配で悟る

東京大空襲の時、私は皆と防空壕に避難しなかったから助かった。気配で悟ったからだ。周囲の大人に勧められたけれど、隣組の避難所と防空壕に入らなかった。独断で逃げて助かった。東日本大震災の津波の動画を見るたびに、私は自分が逃げ惑った戦争の東京大空襲を思い出す。あの時、私は近所の人と防空壕に入らず、独断で玉川へ逃げ、助かった。あの命拾いをした時が蘇る。防空壕に避難していたら、今の自分は存在していなかった。

私の体験は、臨機応変な活動と「必死に走る」こと。普段の訓練が肝心だ。それらは一朝一夕には不可能、長期の習慣的な訓練が大切だ。良いことも、良くないことも、習慣になる。

スポーツは練習しないと、強く、上手くなれない。武道などの剣術でも稽古が重要だ。訓練とは上達する為にするのだ。但し自分の能力に合わない訓練は駄目だ、素質に合わない訓練は努力しても無駄だ。まず自分の性格と体格を自分で悟ること。他に相談して客観的に判断してもいい。しかし自分が一番良く知っている。その上で努力を積み重ねることが肝心。

命は自分で守る。自分の命は自分で守るのはあたりまえだ。それには、普段の心構えや、気力と体力が必要だ、非常時の判断力、臨機応変の機転、そして実行する体力。これらは一朝一夕に、思いつきでは実行できない。常に非常時を想定して心と体を鍛えておく。事件やニュースに関心を持ち、事件の起こった背景を考えてみよう。事件には原因がある。深夜の公園、人のあまり通行しない寂しいところ、ヨッパライ、風体の良くない人間などなど、考えると事前に避けられる事件がかなりある。後悔先に立たず。よく自分の行く先を見極めて生活することだ。

成せば成る。成さねば成らぬ何事も。成さぬは人の成さぬなりけり。
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自分の身を守るために 2

◇早寝早起きは 安全と健康の基

最も危険な行為は、夜遊びと夜歩きだ。これは自主規制して止めれば良い。意志の力だ。早寝早起きをすれば健康にも良い。

日本は、廣島長崎の原爆の悲惨以後、戦後の66年間にわたって平和をうたい、世界的に治安の良い国と自負してきた。浅間山荘事件や地下鉄のサリン事件と数々の凶悪事件を経へながらも。ところが実際はパイロットが携帯で写真を撮ったり、列車の運転手が居眠りしたりなど、一部に人心の乱れがある。

秋葉原の無差別殺人事件もあったし、先日はトンネル内で列車が全焼した。また警備保障会社では預かった6億円の現金が強奪されるという呆れたニュースもあった。6億円は大金だ。安全を保障する会社が誠に不安全だ。最近の日本を見ていると不安で、信用できぬ情報が多い。これらはすべて大事に対する心の油断である。人心の乱れている証拠である。

「横断歩道みんなで渡れば怖くない」は、もっとも危険である。この度の地震津波は、千年に一度と云われる大災害大津波だ。多くの尊い人命を失った。報道によれば死者行方不明者の合計が23,547人。避難生活者が8万人。

被災地のある小学校では80%の児童が犠牲になったという。九死に一生を得た生徒の話では、集合させられ、30分ほど避難説明をきいているうちに津波に呑まれたという。生き残った生徒は独断で逃げたそうだ。自己判断で自分の命を永らえた。指示をまった生徒はほとんどが全滅。実に残念な話だ。「気配で悟る」リーダーの速やかに適切な判断があれば、生徒全員106名の命を守れたのではないか。

何事につけてもリーダーの判断は重い。
関係者は皆を一緒に安全に避難させようと相談中に津波に襲われたという。何とも残念な話で、各自が自己判断で逃げる訓練をしていれば、集合者がするようなミスは避けられた。すくなくとも全滅はしなかったはずだ。

今、世界に安全な国は無い。天災とテロを含めて、地球上何処にも事故や事件がある。周囲の安全を確かめ、気配を悟り生活することが大事だ。それには心身を鍛える事だ。老若男女の関係なく、誰にでもいえる。自分は自分で守るという訓練が大切だ。
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自分の身を守るために 1

災難は忘れた頃にやってくる、という。

災難は何時起こるか判らない。だから自分の命は自分で守る。それには非常時に備えた、日頃の心構えや訓練が大切だ。非常時にどう逃げるかを考えておき、自発的に訓練する。非常時の脱出には的確な判断、臨機応変、機敏な行動が必要だ。脚力は普段から鍛える。緊急時の逃げ道を、事前にいくつも考えておく。

私は気配で悟る訓練をしている。レスリング選手当時、技の研究で柔道の名人三船10段に「相手の気配で悟り技をかける」を学んだ。以後私は「気配で悟る」の考えを活用している。日常のあらゆる時に役立つ教えだ。

◇自分の命は自分で守る 何事も訓練による慣れと習慣

安全は人に頼らず、油断は禁物。自己防衛力が大切だ。

非常時にいかにして我が身を守るか。自己防衛は、自分が生きるための第一手段だ。私は75年の人生のなかで、命拾いをしたことが幾度もあった。日本、アジア、中近東、ヨーロッパ。そして、今住んでいる米国でも、度々生命の危険に出会った。しかし幸運にも生き延びてきた。理由は「気配で悟りながら」日々の活動や生活をしてきたからだ。

「気配で悟る」という事は、自分の周辺は安全か否か、周囲の人間の良し悪し、物騒な人間はいないか、常に確かめる。これは訓練に寄る慣れと習慣である。

そうはいうけれど、いくら自分だけ頑張っても不可能な場合もある。例えば、旅客船、旅客機、電車、乗り合いバス、高層ビル内、不特定多数の集まり、花火大会の橋の上……とさまざまだ。その時は不可抗力、不運だと諦めるしかない。せいぜい信頼できる会社や運転士を選びたいけれど、個人的には難しい。

事前に避けられる場合もある。屋内の大集会や花火などは、注意深く行動すれば災難から逃れられるだろう。事前に場所、時間、人数などを確かめる気配りを養い、できるだけ逃げやすい端に居たほうがいい。
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沼津大空襲

東京大空襲で命拾いした。そして沼津に戻れば、今度は沼津大空襲である。第2の命拾いだった。

沼津に引っ越してからも、時々、B29がはるか上空を飛んでいた。それを沼津の連隊の高射砲が迎撃する。しかしB29の高度は10,000メートル。高射砲の到達距離は2,000メートルそこそこ。そんな能力では駄目だ。結局、沼津市にB29の爆撃があった。1945年7月17日のことだった。沼津は駿河湾を控えて、連隊本部や高射砲陣地など軍事施設があったので、それが爆撃の目標だった。しかし結局は沼津全体が爆撃された。

この日も私は運悪く空爆被災地の中を逃げる事になった。最後にたどり着いた所が沼津競馬場だった。広々とした馬場に数十頭の馬が放たれていた。実は厩舎や納屋が空爆で破壊消失し、馬の管理人なども被災して処分を検討中との情報。そこで600円で1頭買い、親父と共に馬をひいて歩いて韮山の家に帰った。家まで8時間ぐらい掛かった。

B29の爆撃のなか、逃げて逃げて命拾いの末、競馬馬が手に入るとは。この時ばかりは愉快な気持ちになった。歩ける、走れる。そして助かった。
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