疎開編2 疎開生いじめに遭う
韮山小学校に転校した当初はよくいじめられた。他にも疎開生がいたけれど、疎開生はまず、話し方が違う。地元の生徒にとって、我々の言葉がおかしいようで、よくからかわれた、泣きべそをかくと、また弱虫と嘲われる。悔しいが、私は泣かなかった。いつも我慢した。
ある朝、登校中のこと。学校まで4キロ程の中間地点の田圃道で、集団暴行にあった。突然の事件だった。奴らは近くの火葬小屋に隠れて待ち伏せしていた。
私はとっさに親分らしき奴の股ぐらに片足で飛びつき、太ももに噛み付いた。その後は反撃に夢中で、何が何だかしばらくわからなかった。8名全員に攻撃され、最初は私を蹴ったり抑えていた。そのうちに廻りが静かになり、気がつくと誰も居ない。私の口もとには血がべったり、地べたにも血が溜まっていた。
私が親分を噛み付いたときの血に驚き、皆逃げたのだ。相手を倒して同時に倒れたあと、みな私を攻撃してきた。同時に倒れこんできたから重なりあった。だから、一番下の私は、何の被害もなく無傷だった。とっさの判断と親分へのタックルが我が身を守った。1対8でも急所を攻めれば勝てる。いざという時の、身を以て知った最初の体験だった。おかげで次の日からいじめはなく、襲ってきた隣部落の連中とも仲良くなった。これは他の疎開生のためにもよかった。
戦況は日毎に厳しさを増しているようで、この頃になると学校に行っても勤労奉仕ばかりだった。主に山で松の根を探して掘りだした。これは松根(しょうこん)油の材料となり、日本軍の飛行機の燃料の一部になるという。田圃でバッタを採る日もあった。それもお国のための勤労奉仕だった。
ある朝、登校中のこと。学校まで4キロ程の中間地点の田圃道で、集団暴行にあった。突然の事件だった。奴らは近くの火葬小屋に隠れて待ち伏せしていた。
私はとっさに親分らしき奴の股ぐらに片足で飛びつき、太ももに噛み付いた。その後は反撃に夢中で、何が何だかしばらくわからなかった。8名全員に攻撃され、最初は私を蹴ったり抑えていた。そのうちに廻りが静かになり、気がつくと誰も居ない。私の口もとには血がべったり、地べたにも血が溜まっていた。
私が親分を噛み付いたときの血に驚き、皆逃げたのだ。相手を倒して同時に倒れたあと、みな私を攻撃してきた。同時に倒れこんできたから重なりあった。だから、一番下の私は、何の被害もなく無傷だった。とっさの判断と親分へのタックルが我が身を守った。1対8でも急所を攻めれば勝てる。いざという時の、身を以て知った最初の体験だった。おかげで次の日からいじめはなく、襲ってきた隣部落の連中とも仲良くなった。これは他の疎開生のためにもよかった。
戦況は日毎に厳しさを増しているようで、この頃になると学校に行っても勤労奉仕ばかりだった。主に山で松の根を探して掘りだした。これは松根(しょうこん)油の材料となり、日本軍の飛行機の燃料の一部になるという。田圃でバッタを採る日もあった。それもお国のための勤労奉仕だった。
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