俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

心と体を鍛え
地球上どこへ行っても
胸を張って生きられる
知的な野生人になろう

8月15日 終戦の日 温故知新

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1945年8月15日昼過ぎ、10歳の私は疎開地の、静岡県伊豆韮山村字多田村の農家の庭先で、ラジオの天皇陛下の玉音放送で日本が負けたことを知った。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……と云う天皇陛下のことばを、私は忘れない。いや、忘れられないのだ。

悔しかった,情けなかった。負けてたまるか、何時か勝つ、ただ漠然と国民を謀り、戦争に駆り立てた、軍事政府大本営を恨んだ。

大本営発表は、連合艦隊に多大の損害を与えたり、我が方の損害は軽微なり! ばかりであった。

真珠湾奇襲攻撃から広島長崎に原爆投下され、昭和45年8月15日の敗戦を天皇陛下の玉音放送で知った。


私は完全に日本政府や大人に不信感を抱くようになつた。今でもその影響は強いと思う。

「一億聡火の玉」「欲しがりません 勝つまでは」と、国家大本営に我慢我慢を強いられても負け戦。

10代の若き特別攻隊として、お国の為に散つた300万人の御霊を思うと、今でもこころが詰まる。特攻隊としてゼロ戦で戦死した従弟もその一人だった。

先のロンドンオリンピツクでは、TV中継の合間にBBCやNBCが、連日かなり長い時間をかけて、しきりと英国の戦争についてふれ、ナチスドイツの攻撃で、ロンドン市街の壊滅のような模様まで放映され、ナチスドイツ軍隊の様子と旗が度々画面にひらめいたりていた。ドイツの人達はあれをどんな気持ちで見て居たのかと気になった。

われわれも、かつて幾多の戦のなかで、国のために命を捧げた多くの御霊を忘れてはいけない。古きを学び、新きに生かす、温故知新の精神が肝要。

日本も2回目の夏季オリンピック開催を目指しているようだが、もし開催できれば、何十億人がテレビを見、インターネツトの情報網が拡大してゆく。だから、肥大の一途を辿るオリンピックは、国家宣伝にとってもまたとない好機である。
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まぐろの値段にびっくり。

5月17日の報道によると スイスジュネーブのオークシヨンで 400年前の貴族が所有する34カラットのピンクダイヤモンドが、7億7000万円で落札されたという。400年の伝説を秘めた逸品と云う。

同じ日に東京築地市場で、青森の大間で水揚げされた269キロのマグロが、5,649万円の過去最高値で落札とある。1キロ当たり21万円也!と唖然とした。

もっとも 夕張のメロンがひとつ100万円とか150万円という話を前に聞いたし、
13年前はカブトムシが1匹1,000万円という記事も、私のスクラップブックにあった。
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歴史は繰り返す。

 歴史は繰り返すというが、最近大阪の方で『船中八策』とか維新の会などと、明治維新や坂本竜馬を思い出す言葉をよく聞く。これも古きを尋ねて新しきを知るという温故知新、先人の教えが今日も生きているということだ。

まさに 歴史は繰り返す。 

千年に一度の地震と大津波や、世界の経済大恐慌、大会社の経営破綻。
地球のあちこちの国で、戦国乱世のように歴史が繰り返されている。
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PCとインタ-ネット

見よう見まねで コンピューターをいじりはじめて数年たった。 動画二ュ―スは本人の話が直接聞けるので便利だ。 もう今ではNHKや他のメデイアに頼る必要もなく、おかげで偏向報道に惑わされずにすむようになり、ありがたい。
ただ知人にはコンピュター嫌いが多いので連絡に手間がかかる。
一身独立 ぼけ防止コンピューターは 最良の頭の体操だ。
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温故知新 古きを尋ねて 新らしきを知る。   

2011年3月11日の東日本大震災と大津波の惨状は、私に66年前の大空襲後の焦土と化した東京のすがたを蘇らせた。
   
あの時、敗戦から立ち上がった国民は、艱難辛苦を乗り越え、世界が目を見はる驚異の大発展をとげて今日に至った。 

敗戦後はGHQによって、柔道、剣道など武道そして習字や茶道、花道など 道の文化は全ては禁止された。財閥解体で三井三菱住友など多くの大企業が分割され 経営者は追放された。

 GHQが主導して日本憲法をつくったが、日本人の国民性を恐れ天皇制だけは許した。
万世一系の象徴天皇の下に 紀元2672年〈平成24年〉を迎えたような国は他にない。国旗の日の丸と國歌の君が代も許された。

米国が恐れたのは日本の思想と軍備再興だつたのだ。以来日本は骨なしで軟弱だ。
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馬鹿な話 馬鹿もいろいろ

バカにもいろいろある。

まずスポーツ馬鹿だが、これには特に思い出がある。私が新婚当時、ニューヨークのアパート八田会長が訪ねて来た時のこと。

『日本にはスポーツ馬鹿が多くて困る、強くて有名になると思あがり、社会人としてのマナーをわきまえないスポーツ選手が多くて困る。とくに棒振りに多い』と云うのだ。

棒振りとはなんだろうと思ったら、あるプロ野球の当時のホームラン王の平素の態度が横柄で柄が悪い、ということであった。

最近のスポーツ界では、あるプロ選手が米国チーム入団の発表のため米国入りし、米人記者に

「貴方の着ているTシャツには麻薬の葉が描れているが、日本では問題にされないのか?」

とTVでインタビューされた。当の本人はニコニコしているだけだった。
 
次の日の記者会見で新しい米国生活を問われ「私は馬鹿だから何も気にしない」と答えていた。あの選手は自分でスポーツ馬鹿を公言していた。

別のスポーツで、オリンピックで2連勝した金メタルの選手が、未成年の女子選手にからむ飲酒をともなうという醜聞。これもスポーツ馬鹿の典型。

芸能界も似たようなもので、自称「将来の人間国宝」六本木を舞台に全国にその名を馳せた 梨園の名を汚す役者馬鹿がいたなあ。

政財界、とくに現役の政財界には特に多く見受けられるのは【偏差値馬鹿】だ。

 知事に長幼の序を薫陶し、気合をを入れた親分肌の大臣。
 国会の質疑応答で、脇目もふらず一心に演説を朗読する議員。
 会議中に忍者のように消え、コーヒーを飲んで来る余裕しゃくしゃくの大臣。
 云うだけ番長と書かれ、取材禁止をいいわたした実行力のある大臣。
 就任挨拶で私はシロトウですから、と正直者の大臣。 
 110億の巨費を投じて開発したSPEEDIが事故当時役立たず、其の存在すら知らなかったという。当時、関係した官房長官、大臣等5人。
借金返済にマカオ賭博へ出稼ぎ、110億円を摩った紙おむつメーカーなど紙業の社長。
どれも名門大学出とあるが 表門?裏門?迷門? 

 挙げればきり無しこれまで。
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みんなでつくり直そう やり直そう日本

今、地球上はあっちもこっちも経済恐慌の嵐、各国で暴動や革命騒ぎの真っ盛り。
日本だけ平和ボケしている時世ではない。
国民が今の政治の有り様に目覚めるべきだ。

日本の政治が今や戦後最低最悪状態にみえる。
政治家として未熟な輩が政治を操っているから、国民が明日の希望を持てなくなる。
日本のサッカーチームが国際試合で、堂々と君が代を歌い日の丸を掲げられない。
そんな弱腰外交は嘆かわしい限りである。

次回の選挙は愛国精神と気骨ある人間を国民が選ぶこと、
それには選挙民が政治に目を向け、しっかりとした知識と
判断力をもって投票に臨むことだ。選挙はタレントの人気投票ではない。

敗戦し米国統治から開放されて65年。もう戦後ではない。
憲法を改正し「独立国家日本」として米国と付き合おう。
いつまでも米国の傘の下では駄目、国民もみんな自分のカツパを着なさい。
自分の国は自分たちで作り守る、責任と気概を一人一人が培う努力をする。
今の日本は 世界のどこから侵略されようとも、
「米国無くしては国民を守れない」という状態ではないだろうか。 

米国は日本の“トモダチ”である。
しかし、いつまでもべったりと友に頼ってばかりは居られない。
皆が誇りを持てる国、祝日には日の丸を揚げ、
スポーツ試合や教育の場から君が代が聞こえてくるような、
そういう国日本に私は生きたい。



歌詞はこちら
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新年のご挨拶

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謹んで新春のご挨拶を申し上げます。
皆様がお元気に活躍されますことを心からお祈り申し上げます。


2012年元旦


平田 孝
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2012年から始めます

私がレスリングに関わって60年の節目を迎えました。
来年は私たち夫婦も50年の節目を迎えます。

大きな節目を迎えて、いま、私は何をすべきか。
どうすれば成せるかを考えました。

私はレスリングの父、八田一朗から、
日本レスリングは武道から学べと教えられました。
そこからつながるすべての人へ
今までの出会いに感謝しつつ
皆さんと歩んだレスリング人生で得た経験を、
次の世代に残したい。

武士道に基づき、レスリングを通じて、
日本はもとより、明日の地球を担う若者を育てたい。
チビッコレスリングを始めた私にはその責任があるとも考えています。

心と体を鍛え、世界中どへ何処へ出かけても、正生堂々とした態度でいられる。
そんな少年を育成するために、全国を巡回し指導したい。

実技の指導は、今のレスリング界のリーダーにできるでしょう。
しかし、メンタルな部分ではどうか。心を鍛えるという役割なら、
戦争や、日本のレスリング創世記の、私の体験が役立つのではないか。

若い選手たちだけではなく、指導者、父兄にも、それぞれの役割を再認識し、更なる自己能力の開発を促したい。

正しいことをしていて迷っているなら、自信を持てと励ましたい。
気づかずに間違っているなら、それは違う、とハッキリ言ってあげたい。

私が信頼でき、尊敬できた先輩、同輩たち。
確固たる信念を持って、イエスとノーを言えた人間がどんどん減っている。
だからこそ、私は、いま、次の世代のために働きたい。

2012年、平田孝は動きます。
もし私にできることがあれば、ぜひ、ご相談ください。
ご協力いただきたい方には直接、ご連絡いたします。
日本全国、どこにでも参ります。

どうぞよろしくお願い申し上げます。
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2011年は再起動の年にするつもりでした

2011年の正月に日本に行きました。
みなさんお世話になりました。

日本行きの理由のひとつが、第10回全日本マスターズレスリング選手権大会でした。何人かの来場者と旧交を温めました。でもそれで終わるつもりはありませんでした。

日本での活動を再開しようと考えていたのです。

私は、1976年にスウェーデンの世界選手権に参加し、日本代表フリースタイルとグレコローマンスタイルの2チームの総監督として同行しました。それから協会を離れ、2000年頃まで、子供たちにスポーツを通じて教えたい、学んで欲しいと思って活動をしていました。この時期の活動はとても人気があって、日本全国に及び、多くの教え子たちがいて、立派に育っています。

そして2011年。件の活動も終わってしばらく経ち、久しぶりに昔の仲間達に会おう。新しい形で活動を再開しようと思いました。そこで、第10回全日本マスターズレスリング選手権大会にデビューしたわけです。もっとも、主治医の強い要請で試合には出られませんでした。いまでもそれが残念です。

ただし、会場にいた皆さんには温かく迎えていただきました。乾杯の音頭も取らせて頂きました。その後、いままで何をしていたんだと、いろいろ質問も頂きました。でもああいう場所では、長い話が更に長くなってしまいます。

「あとでゆっくり話すよ」
と、その場でいいました。

その時は、私は4月から日本で活動すると決めていました。日本全国、全県をめぐって、旧友を訪ね、長らくの無沙汰を詫び、積もる話をして、年寄りだけども、日本のために新たな気持で、教育をことをやろうじゃないかと、激励して歩くつもりでした。

その準備の矢先に、あの大震災があったわけです。

実は、日本に行く前に、私の親友、藤田徳明(日体OB)君と電話で話していました。彼は闘病中でもう動けなかった。
「先輩、日本に行って皆にあったらよろしく伝えてくれ。
 そして、アメリカに戻ってきたら、皆の様子をきかせてくれ」
彼とはそんな約束をしていました。

しかし、アメリカに戻ると連絡があって、いまは容態が悪い。なんとか元気になるから、そうしたら呼ぶから、ぜひ来てくれと……。その連絡を待っていました。

大震災からしばらくして、私はアメリカ人の友人からのメールで、藤田君の訃報を知りました。インターネットのコミュニティのどこかで「元レスリング選手で、日本からアメリカに来て成功した藤田が亡くなった」という情報が流れたそうです。ニューヨークアスレチッククラブに連絡をしたところ、その噂が事実だと知りました。日本語でお悔やみの手紙を送り、奥さんから返事が来ました。最後まで私に会いたがっていた。日本のことを気にかけていたと。

私は、私自身はもちろんですが、藤田くんをはじめ、多くの仲間達たちのためにも、日本での活動を再開しようと決意を新たにしました。
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