俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

心と体を鍛え
地球上どこへ行っても
胸を張って生きられる
知的な野生人になろう

負けて勝つ-私のレスリング体験記

原点は“世界を目指して”レスリングを始めた。
オリンピツクが夢だった。
法政二高時代は3年間全敗だった。
しかし 負け負け負けの3年間。10回以上を負けただろう。

友人は誰も応援に来なくなった。

“失敗は成功の基”と己を励まし
“負けて勝つ”とやせ我慢の毎日だつた

高校に指導者(コーチ)無し。以後10年間、選手時代の私は指導者無しだった。

見習稽古で“一身独立”選手

慶大、明大の見習い練習見学が私の稽古の全てだった。
そのなかでも当時“金メダルの中大”で練習させてもらい度胸と自信が増した。

そして神奈川県の国体代表選手となり、
神奈川大会3位 北海道旭川大会3位 富山大会で優勝した。

“負けて勝つ” 
何事にも自信が湧き強くなれた。

“夢に勝つ”
私の夢は世界だった。
ついに念願の“全米武者修業”に参加できた。
“夢は世界を駆け巡る”のだ。
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勝つまでやる人生

勝つまでやる根性を!
レスリングを高校時代に始めた。
連続13連負!
誰も応援に来なくなった。
その時、
「負けてたまるか
 よし 勝つまでやる」 決心した!

大学に進んでからは、別の強豪大学へ出稽古に年中通った。
神奈川代表として富山国体優勝。
1957年の大学卒業年に学生選抜で渡米。
全米選手権優勝。
母校に錦を飾ることができた

Hosei University, Ichigaya Campus
Hosei University, Ichigaya Campus / Dick Thomas Johnson


当時の法政大学長、大内兵衛より金一封を頂戴し、
翌年の全日本選手団トルコ遠征の糧とした。
1964ローマ五輪代表の2年前だった。

負けて勝!

負けたら終わりではない
敵は己にある

立って半畳 寝て一帖。
歳を取ったら、ほどほどに。
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スポーツは世界を繋ぐ虹の架け橋

1970年春
韓国レスリング協会の招聘で訪韓した。
お土産は先様の要望で、
「日本の大根のたくわん漬物4キロ2箱」
機内持ち込み荷物としてドアー入口に置いたところが
たいへんな匂いに往生し、到着まで冷や汗をかいた。
幸い 機上が短時間で助かった!

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韓国レスリング協会主催講習会のスポンサー企業は大宇財閥だった。
会場は大宇体育館。
五輪レスリング指導と講習会だから、施設もマットも公式。
午前2時間、午後2時間を5日間。マット上の実践技術指導だった。
説明は主に私で、実技は主に同行OB選手
東京五輪フェザー級金メダリストの大学OBだから、韓国の選手関係者は熱心に受講した。
最終日はソウル市街と半島ドライブ見学。焼き肉飲食共に皆で満足満腹!
韓国の人々どこへ行っても皆、実に親切丁寧で、ただただ感謝感激だつた!
あの頃の韓国の皆さんが懐かしい

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スポーツは世界を繋ぐ虹の架け橋!
政治家にもフエアープレイ精神を!
向こう三軒 両隣!
隣国韓国とは特に友好で!

ローマ五輪レスリング日本代表
平田孝
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