負けて勝つ-私のレスリング体験記
原点は“世界を目指して”レスリングを始めた。
オリンピツクが夢だった。
法政二高時代は3年間全敗だった。
しかし 負け負け負けの3年間。10回以上を負けただろう。
友人は誰も応援に来なくなった。
“失敗は成功の基”と己を励まし
“負けて勝つ”とやせ我慢の毎日だつた
高校に指導者(コーチ)無し。以後10年間、選手時代の私は指導者無しだった。
見習稽古で“一身独立”選手
慶大、明大の見習い練習見学が私の稽古の全てだった。
そのなかでも当時“金メダルの中大”で練習させてもらい度胸と自信が増した。
そして神奈川県の国体代表選手となり、
神奈川大会3位 北海道旭川大会3位 富山大会で優勝した。
“負けて勝つ”
何事にも自信が湧き強くなれた。
“夢に勝つ”
私の夢は世界だった。
ついに念願の“全米武者修業”に参加できた。
“夢は世界を駆け巡る”のだ。
オリンピツクが夢だった。
法政二高時代は3年間全敗だった。
しかし 負け負け負けの3年間。10回以上を負けただろう。
友人は誰も応援に来なくなった。
“失敗は成功の基”と己を励まし
“負けて勝つ”とやせ我慢の毎日だつた
高校に指導者(コーチ)無し。以後10年間、選手時代の私は指導者無しだった。
見習稽古で“一身独立”選手
慶大、明大の見習い練習見学が私の稽古の全てだった。
そのなかでも当時“金メダルの中大”で練習させてもらい度胸と自信が増した。
そして神奈川県の国体代表選手となり、
神奈川大会3位 北海道旭川大会3位 富山大会で優勝した。
“負けて勝つ”
何事にも自信が湧き強くなれた。
“夢に勝つ”
私の夢は世界だった。
ついに念願の“全米武者修業”に参加できた。
“夢は世界を駆け巡る”のだ。