俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

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2011年は再起動の年にするつもりでした

2011年の正月に日本に行きました。
みなさんお世話になりました。

日本行きの理由のひとつが、第10回全日本マスターズレスリング選手権大会でした。何人かの来場者と旧交を温めました。でもそれで終わるつもりはありませんでした。

日本での活動を再開しようと考えていたのです。

私は、1976年にスウェーデンの世界選手権に参加し、日本代表フリースタイルとグレコローマンスタイルの2チームの総監督として同行しました。それから協会を離れ、2000年頃まで、子供たちにスポーツを通じて教えたい、学んで欲しいと思って活動をしていました。この時期の活動はとても人気があって、日本全国に及び、多くの教え子たちがいて、立派に育っています。

そして2011年。件の活動も終わってしばらく経ち、久しぶりに昔の仲間達に会おう。新しい形で活動を再開しようと思いました。そこで、第10回全日本マスターズレスリング選手権大会にデビューしたわけです。もっとも、主治医の強い要請で試合には出られませんでした。いまでもそれが残念です。

ただし、会場にいた皆さんには温かく迎えていただきました。乾杯の音頭も取らせて頂きました。その後、いままで何をしていたんだと、いろいろ質問も頂きました。でもああいう場所では、長い話が更に長くなってしまいます。

「あとでゆっくり話すよ」
と、その場でいいました。

その時は、私は4月から日本で活動すると決めていました。日本全国、全県をめぐって、旧友を訪ね、長らくの無沙汰を詫び、積もる話をして、年寄りだけども、日本のために新たな気持で、教育をことをやろうじゃないかと、激励して歩くつもりでした。

その準備の矢先に、あの大震災があったわけです。

実は、日本に行く前に、私の親友、藤田徳明(日体OB)君と電話で話していました。彼は闘病中でもう動けなかった。
「先輩、日本に行って皆にあったらよろしく伝えてくれ。
 そして、アメリカに戻ってきたら、皆の様子をきかせてくれ」
彼とはそんな約束をしていました。

しかし、アメリカに戻ると連絡があって、いまは容態が悪い。なんとか元気になるから、そうしたら呼ぶから、ぜひ来てくれと……。その連絡を待っていました。

大震災からしばらくして、私はアメリカ人の友人からのメールで、藤田君の訃報を知りました。インターネットのコミュニティのどこかで「元レスリング選手で、日本からアメリカに来て成功した藤田が亡くなった」という情報が流れたそうです。ニューヨークアスレチッククラブに連絡をしたところ、その噂が事実だと知りました。日本語でお悔やみの手紙を送り、奥さんから返事が来ました。最後まで私に会いたがっていた。日本のことを気にかけていたと。

私は、私自身はもちろんですが、藤田くんをはじめ、多くの仲間達たちのためにも、日本での活動を再開しようと決意を新たにしました。
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