俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

心と体を鍛え
地球上どこへ行っても
胸を張って生きられる
知的な野生人になろう

電気のない時代を生きる 2

■終戦後の耐乏生活と人間の力

震災復興救援活動と、私が体験した戦災復興が重なる。大空襲で焼け出され、命からがら逃げのびた生活。そんな66年前と今は雲泥の差。昔は働かざる者食うべからず。今は生活保護。実に感慨深い。

戦中戦後、私たちは衣食住のすべてが耐乏生活だった。老若男女、みな我慢した。日本中すべて物資欠乏だから、不平が言えない。敗戦直後、海外からの引き揚げ者には援助があった。しかし一般人に対する政府による生活保護など聞いた事がなかった。健常者は頭脳労働、肉体労働。一億みなよく働いた。「働かざるものは食うべからず」が当たり前だった。それに引き換え、今は200万人が生活保護を受けるという。終戦後の2004万人に次ぐ多さ。しかし、どうも今は「働く気力の乏しい若者中年」要するに覇気のない人間が増えただけだと思う。だからこれからの日本に不安がある。

戦後は誰も助けてくれない時代だった。町は焼け野原。しかし失業者は見当たらなかった。ほとんど皆、なにかしら動いていた。モク(タバコの吸殻)拾いに釘拾い、靴磨き。それでも生活が苦しいといって自殺する者も聞かなかった。敗戦から復興へ。夢に向かう、逆境を精神的に生きるという強さがあった。今はそれに欠けている。教育や家庭環境に問題があると思う。

今の世は、こどもに限らず誰にも過保護だ。戦後の頃は違う、何事も自分の事は自分でやった、やらざるを得なかった。生死の境を生きのびる。B29爆撃機が雨のように投下する焼夷弾。ただ逃げに逃げた。恐ろしかった。夢中で走るうちにそれも忘れた。ただ走る。あれが生死の境だった。よく逃げたと思う。あれは韮山疎開の、山の開墾労働で鍛えた体力と根性だ。

戦中戦後の一般家庭は、風呂、洗濯、飯炊き、料理など一切が人の労力だった。電気といえばラジオと部屋の明かりだけ。その他は機械モーター工業用などに使うだけ、と思っていた。だから生活に電気がなくても困らなかった。

昔は、どこに行くにも歩いた。なんでも自分でやった。だから今いう省エネも「できることは自分の力でやる」をこころがけることだ。

今まで、電気に頼り過ぎた。人間が動かなくなり、弊害として運動不足による病気も増え続けた。便利な電動化は不健康化につながり、人びとに怠け癖をもたらす。便利過ぎは、人を怠けさせる。それが進めば国を滅ぼすもとになる。このままでは日本は滅びる、日本の精神も滅びる。衣食住に足り、飽食、物余り。なにもかも過剰で便利な日本の時代は、原発事故を教訓、改める必要がある。一人一人が真剣に考え生活することだ。

わがままを控えること。便利さは人を不幸にする。何でも「自動」に頼り、便利を求める時代は終った。これからは贅沢を控え、できることは自分でやる心を養いなさい。震災直後に石原東京都知事が「我欲を捨てろ」と言った。同感だ。電気があれば何でも自動化という便利さは、過ぎると人を不幸にする。

戦後66年。復興から世界が驚くほどの経済発展を遂げた日本。しかし原発を得て電化繁栄という時代は過ぎた。世界一平和な国と言われた日本も、過去13年連続で3万人を超える自殺者だという。経済発展もいい加減にすべきだろう。

震災と原発事故を教訓に、エネルギーについて考え、自らのライフスタイル考えるときだ。長い歴史の中で常に自力更生をスローガンに国つくりをした、かつての中国を見習うべきだ。それにはまず「自分の身体は自分で管理」の率先垂範だ。自分の心と体を鍛える、なんでも自主的に行動する。電気の自動化ではなく、「自分の自働化」だ。省エネ、節電は「自働化」から。体力作り、健康管理の第一歩ともなり、節約と健康の一挙領得だ。
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