俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

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米国武者修業(1) -2ヶ月200ドルの貧乏旅行-


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八田会長いわく

「日本は当時!止むに止まれぬ無謀な戦争を米国にしかけ、
 多大の犠牲を蒙り敗戦した。
 敵の国力を知らず 己の国力を悟らなかったからだ!」


戦前に米国体験のある八田会長はさらにこう言った。

「日本レスリングは米国の生活や文化を学び。
 スポーツを通じ、日本の複興と国際親善に尽くそう!」


1957年2月から4月にかけて、全米一周12,000キロの旅がはじまった。
日本スポーツ界初の海外武者修業。
八田一朗会長陣頭指揮の、日本の大学選抜レスリング団である。

これが私にとって初の海外への"あしあと"だ。
日本大学選抜の一員として、この全米一周武者修業に参加した。

当時の日本は海外渡航が厳しく、特に米国査証(ビザ)の取得は極めて難しかった。観光は勿論、貿易商売などでの渡米も困難な時代だった。

レスリングは戦前からの米国交流が認められた。
八田会長が、日本統治中の占領軍GHQのマツカーサー元帥に直訴した。
選手達は、赤坂の米国大使館にて面接、異例の特別査証が許可された。
ただし、持ち出せる現金は制限されている。2ヶ月で200ドルの貧乏旅行の始まりだ。

羽田空港国際線ロビーは、選手団見送りであふれ華やかだった。
明治、慶応、早稲田、法政、中央 大阪の関大 関学など関係者の見送り、各大学の鳴り止まぬ応援合戦。重なりあう校歌と大勢の人びとに見送られ、八田一朗会長を団長とし、監督・マネージャー・選手の合計11名の出発だ。

当時の国際線は羽田からの日本航空のみ。
米国最新型の4発プロペラ機DC7。ウエーキ島で給油してハワイ、そしてサンフランシスコまで。他州への米国便無しの時代だった。

_xf0800507471l.jpgホノルル空港到着。
日系会のスチール野田会長はじめ、沢山の人びとに迎えられた。
ハワイ名物のフラダンスで、美女たちにレイを贈られた。
選手団は大歓迎をうけた。 

初戦は、ハワイ・カネオエ湾基地の海兵隊チームだ。
終了後合同食事会に招かれた。

(写真提供:ペイレスイメージズ)
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