俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

心と体を鍛え
地球上どこへ行っても
胸を張って生きられる
知的な野生人になろう

戦争と疎開

体験を積むほど、人は、たくましくなる。

ニワカ百姓、半年で一人前になる
終戦になるまでの2年あまり
私たち父母親子3人は伊豆韮山に疎開した。

一家での自給自足が始まる。
百姓ははじめてだがやるしかない。
素人には薩摩芋つくりがかんたん。
山の上の荒くを開墾して”サツマイモ作り”をした。
広い原野だったので、親子3人で毎日苦労し開墾した。
6キロ程の山道を登り荒地を毎日開墾。
にわか百姓にはサツマイモぐらいしかできないのだ。
Country Roads
Country Roads / contri

だが農業は収穫までには時間がかかる。
収穫までの食いつなぎが大変だ。
物々交換。当時は金銭では何も買えなかった。
現金は無価値! 全て物々交換!

幸い我が家は東京で食品商だったので、
持参した缶詰類が物々交換に役立った。

物々交換で手押し車や農具を揃えた。
縁の下を囲い鶏も飼った。卵を近所に配るほどだった。
牛を飼い牛車も買った。
後に沼津競馬の乗馬も買った。
親子3人、よく働いたと思う。
サツマイモは大仁の東洋醸造に売ったこともある。
半年で一人前の百姓になったようで村人の評判になつた
牛車+water can
牛車+water can / kashin1234

番長らとの喧嘩の後はイジメもなく、皆おだやかになり、
韮山小学校の授業は毎日、作業が勉強だった。
戦争の為の日本軍への勤労奉仕。
授業は朝から山での“松根油堀り”
全生徒で山に入り、松の切り株の根を堀り起こす作業。
松の根の油を絞って戦闘機のガソリン代用にするって?

稲収穫の季節は毎日全校生でイナゴ捕り!
イナゴはから揚げにして兵隊さんの栄養補給!?
これも戦争勝利の為だ!
Hirugakojima.jpg

疎開時代の遊び場だった蛭ヶ小島(静岡県伊豆の国市四日町)-Wikipedia


集団疎開崩落事件
戦況厳しくなり、集団疎開が始まる。
近くの修繕寺温泉にも東京から集団疎開。
重量超過で大広間が大崩落けが人多数!

戦争の体験 は
我が人生の最も貴重な体験だった
私の戦争体験 | - | -

八月十五日終戦の日

■陛下の玉音放送

昭和20(1945)年8月15日
疎開先の伊豆韮山 

Nirayama Reverberatory Furnace
Nirayama Reverberatory Furnace / izunavi


暑い真夏の昼下がりに
農家のラジオで天皇陛下の玉音放送が流れた

”耐えがたきに堪え 忍び難きを忍び”

戦争は終わった。


日本は米国に戦いを挑み!
空爆で東京を焦土化され
広島長崎に原子爆弾投下!
八月十五日無条件降伏した

戦争は悲惨だ

あれから七十三年!
今我々夫婦は
かつての敵国
米国オレゴンに暮らす

そんな我が家は毎日が日曜日
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