俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

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あしあと <6> 中大で窓学習する法大生

法政大学に入学し、レスリング部に入部した。創部が横山さん、細井さんたち。2年目の監督は小林助男さん。まだ専用の練習場は無く、2年間は川崎の木月キャンパスで、剣道場を借りての練習だった。部員も少なく、毎回50枚からのマットの移動と後片付けには皆苦労した。とくに千葉県の佐倉高校から来た中村克君と1年下の川城君は、佐倉市から川崎までの通学だ。電車賃も掛かり大変だったと思う。その他、同期では青森県野辺地出身の奥島政治君、若狭から西嶋君、新潟の高橋くん、そして九州からは谷口君などがいた。

2年目の春。新入募集の時、相撲部に興味のあった新入生に「これからはレスリングだ。レスリングはオリンピツクのスポーツだ。先のヘルシンキオリンピツクでは、中大の石井庄八先輩が金メタル、慶大の北野先輩が銀メタルだ」などと全員入賞の話しをし「レスリングで世界への夢を」と誘ってレスリング部への入部を促した。その相撲部志望の長崎出身の彼こそ、後に全日本10連勝、オリンピツク連続出場の国際選手として活躍した川野俊一君である。

この頃になると、小林先生の法政二高も部員も増えて全国的なチームになりつつあった。川崎で予科2年の後、東京千代田区富士見町の本校に移り、杉尾勝弘部長の尽力により道場も整った。マットを敷く手間も掛からなくなり、稽古に身が入るようになった。張り切って練習に励んだ。部員も増えて。2部のリーグ戦に参加できるようになった。

しかし自分の目標は学生選手権と全日本だ。そこで川崎の法政教養部当時の要領で、法政での練習とは別に中大道場に毎日通った。ただし、行ったと言っても天下の中大レスリングの道場には入れない。道場の高い窓に背伸びをしながら、何時間も選手の練習を見た。見知った技や稽古の方法を覚えて帰ると、法政で反復練習を繰り返した。技はそれぞれの選手により様々で、特に自分と同じ軽量クラスの選手の練習に注目して見た。毎日毎日、来る日も来る日も“窓学習”に励んだ。
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