俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

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あしあと <7> 初制覇は滑川国体

毎日、毎日の窓学習を続けていると、窓の内側の人々も気になったのだろう。ある雨の日に「おい君、毎日よく見てるが、レスリングが好きかい」と言われ、ハイと返事をしたところ「じゃあ早く中にはいりなさい」と言ってくれた。

この人がヘルシンキオリンピツクで日本唯一の金メダリスト、石井庄八監督だった。幸にも練習着やシューズは何時も持ち歩いていた。武士は刀を離さないという剣豪の本から学んだ私なりの考えで、普段から大事な物は持つことにしていたのだ。

石井監督の指示でキャプテンの岩井さんが相手を探し、スパーリングをさせてくれた。マットの上に登れたという感動と、名だたる中大の名選手とのスパーリングに、ただ無我夢中で練習した。しかし最後まで立ち上がれず、どうすることもできない。「強い選手とはこう選手をいうのだ」と思い知らされた。

それからは基本の体力作りを考えて、家から二子橋-丸子橋を毎日往復した。週に一度は二子橋を渡り、玉電の用賀の坂の往復も計画した。平均15キロ走った。

中大で鍛えればいつか必ず強い選手になれる。強くなれる。中大レスリングは世界の中大なのだから。石井さん笹原さん、そして池田さんと金メダル選手ら、世界級の選手がそろって稽古するのだから間違いない。目標は富山県の滑川国体だった。神奈川代表選考の決勝は早大OBの白石さんで、「飛行機投げの白石」と聞いていたので緊張した。しかし先手必勝と思い、攻め勝って代表となった。滑川では準決勝で山口県代表の斉藤さんと当たった。決勝は専大の小笠原さんだった。全国的な大会で優勝した試合はこの時が最初だった。みな郷土の誇りを胸のした強豪ばかり。反省と学ぶ事が多かった。斎藤さんはその後、斉藤道場を開き、優秀選手を何人も送り出した。

約10年間の選手生活の中で、一番手ごわく一度も勝てなかった相手は慶大の今井清吉選手だった。とうとう最後まで、勝てなかった……と何年も思っていたのだが、先日メールを頂いて「俺はお前の最強の敵ではあったが全勝はしていない。俺は一度負けているのだ」とあった。彼とはいまもナンバーワンの親友である。
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