俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

心と体を鍛え
地球上どこへ行っても
胸を張って生きられる
知的な野生人になろう

あしあと <4> 川崎に戻る。たっぷりとDDT

韮山時代の平田家は“にわか百性”だが、いろいろな仕事があり、私は毎日それを手伝った。思い出せば限の無いほど、そのときは夢中でやったことが幾らでもあった。辛いと言えば辛く、しかし、韮山時代は私を鍛えてくれた。心も、体も鍛えてくれた。誰に鍛えられたかというと、それは、戦争によって私は鍛えられたと言う事である。余談だが、韮山高校は1950(昭和25)年夏の甲子園全国高校野球で静岡県代表となり、四国の高知商業に4対1で勝って優勝している。韮山の子たちが日常で鍛えられた証拠である。

その後まもなく私達家族は商売のために川崎市に移った。小学5年で高津小学校に再入学した。6年間で4度目の転校だ。確か5年の終り頃から通い出したと思う。

ある朝、朝礼の最中に米軍兵がジープで校庭に来た。DDTを全員にスプレーで噴霧するという。全員そのまま、校庭に一列に並び、順番に頭へDDTをかけられた。しらみ退治だが、女の子は髪の毛の中まで丁寧過ぎる程スプレーされた。頭も顔も真白で、臭くて、お互いの顔を見てゲラゲラ笑った。いま思うとDDTは毒性の高い、人体に恐ろしい殺虫剤で、現在では世界中で使用を禁止されている猛毒だ。私は米兵に頼み、皆の倍ぐらい掛けてもらったので、後遺症が今でも心配である。

戦争を間にして、6年間に小学校を4度変った。何処に移る時も非常の時で、学校でなにを勉強したか、させられたか、さっぱり記憶にない。しかし戦争は、自分の人生に大切ことを沢山覚えさせてくれた。

「大人も子供も無い、いざという時は自分だけが頼り。何事も自分でやるしかない。やればどんなことでも何とかなる」

これは私の小学生時代6年間の実習のようなものだ。
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