俺言魂(おれごんだましい):平田孝 スポーツ教育者

心と体を鍛え
地球上どこへ行っても
胸を張って生きられる
知的な野生人になろう

レスリングで歩んだ ローマへの道 -1-

レスリングで世界を回った。

1957年の全米武者修業が終わり、全日本も順調に進み、
1958年のトルコ遠征、1959年ブルガリア遠征、
黒海周辺のソ連共和国への単独武者修行と続くことになった。

私の夢の始まりは中学時代なのだ
「強くなりたい」「米国に勝ちたい」私の執念だった。

戦時中、飲まず食わず、我慢と忍耐、
“欲しがりません 勝つまでは”
蒲田の我が家は消失せ、戦争に負けた後も‘ないない’づくし
あるのは我慢と忍耐のみ。

私にはもうひとつ目的があった。
アメリカに対する“敵討ち“だ。
レスリングで敵討ち!
だから特に 対アメリカ選手には闘志が沸いたのだ!

これからはスポーツで戦う。世界よ、勝負だ! 

20151013.jpg
写真素材 足成:古い地球儀2


はじめは古橋選手で

1948年6月。水泳の古橋広之進選手が
米国ロサンゼルスの水泳全米選手権で
1500メートル自由形で勝った。
18分19秒0の世界新記録で勝った!

日本の古橋が世界記録で米国に勝った!
と、ラジオが叫んだ。

マツカーサー元帥が祝辞を送り、
当時の名優ボブ・ホープがサインを貰いに駆け寄った。
アナウンサーの興奮が、私の魂を熱くした。

俺もいつの日か アメリカを見返してやる!  
それはレスリング! 

レスリングを始めたのは石井選手の活躍の感動からだ。
レスリングの石井庄八選手(中大OB)は、
1952年ヘルシンキオリンピックで、バンタム級(57)で勝った。
日本選手団唯一の“金メダル”獲得に日本人は湧いた!

「体重制競技のレスリングなら
 “小さな俺”にも出来る やればきっと出来る!」

自信が沸いた。

当時、私は川崎市高津新制中学3年生。
法政二高にレスリング部は出来たが、道場がない。指導者もいない。

私は毎日単身、他校に見習い稽古へ行った。
と云っても、レスリングの練習の仕方を知らないし、相手も居ない 

したがって、“見るだけのレスリング”を3ヶ月ぐらい続けた。
毎週、東京の富坂(文京区小石川)にある中央大学レスリング道場に見に行った。

外から窓越しの見学だ。
見習い稽古、イメージトレーニングだ。

単独練習は自宅の桃の木を相手にタックルとシャドウ(動作)
体力作りとしてロードワーク。
早朝、暗い内に二子橋~玉川~多摩川橋を一周した。
時には世田谷まで歩を進めた。
毎日平均10~15キロだ。

あとは、読書。
宮本武蔵や三四郎の“己に勝つ“ための読書だ。
先人伝記などを読んだ。

私が目標とした2人の先輩

古橋広之進選手の世界新記録、石井庄八選手の金メダルに刺激され
夢の実現に向かい 一人走り続けた。

初めは外から見るだけだった中央大学は、
米国武者修行後は特に歓迎してくれた。
稽古後の風呂は大先輩たちと肩を並べて入浴できるようになった。

中央、慶応、明治、国士舘、そして日本体育大学大学の道場には
大変お世話になり感謝している。

自分を鍛える為に、修行と他流稽古は欠かせない。
実力は全てを解決する。努力だ。やれば出来るのだ。何事も!

これからは 世界単独修行だ!
レスリングを手段に武者修業に出よう!
ヨーロツパ、中東、アジア、世界の大地が見たい!
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