旧南薩鉄道の保存車両を補修
鹿児島交通加世田ステーションに保存されていた南薩鉄道の蒸気機関車とディーゼル機関車が補修されてピカピカになったそうです。
南日本新聞 鹿児島交通加世田ステーション鉄道記念館
お、これは行ってみたい。鹿児島交通、乗れなかったんですよねー。残念。
南日本新聞 鹿児島交通加世田ステーション鉄道記念館
お、これは行ってみたい。鹿児島交通、乗れなかったんですよねー。残念。
全線乗り潰し系紀行家のブックマーク集。
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最近ディーゼルカーも塗装しなおしたそうで、ふっこう割を使って、見てきました。
最近退職した嘱託の職員さんが勤務時間外に塗装したそうです。(南日本新聞2016/9/3)
鉄道記念館とは別にバスの整備場に眠っています。
許可を取って見学しましょう。業務に支障が有るときは見られないかも・・・あくまでも現業の職域なのでご注意を・・・。あとはバスで訪問するのが礼儀かと。
ちなみに、鉄道記念館は開店休業状態ですが、『維持費』的に200円落としてきました(バス乗車券売り場で入館券を買って、入館券にパンチを入れてもらえます)
管理人さんの記事の車両は雨ざらしですのでちょっと色あせてますね。
鹿児島交通は乗らないうちに廃止になってしまいました。
そのころは飛行機にも乗ったことがないし、そもそも名古屋より西に行ったことが無いガキでしたから仕方ないですけど・・・。
南薩線は、1度だけ乗りました(ほかに西鹿児島~伊集院間で乗り入れ車両に数度)。
指宿枕崎線で枕崎に行き、同じホームの向かい側に停車していた車両に乗り換えました。
途中、加世田と阿多でも、下車しました。
加世田は市の中心駅だけあって、そこそこの賑わいがあり、古い駅舎内に売店やそば屋も入ってました。
構内に廃車体がごろごろあったのを覚えてます。
阿多駅は、崩れかけたような駅舎で、知覧線が分岐していたころの運賃表や時刻表が、放置されていました。
廃線後、加世田の資料館には、2度行きました。
20年前の新婚旅行(レンタカー)と、数年前(枕崎からバス)。
2度目の訪問では、資料館がずいぶん縮小され、跡地はホームセンターになってたと思います。
枕崎駅も、JRの線路が短くなって、もとの駅の跡地は、ドラックストアになってました。
おそらく、鹿児島交通の経営が窮地に陥って、土地を売却したんだと思います。
JR枕崎駅は、ホームだけのそっけない駅になってしまいましたが、小さいながらも駅舎ができたと聞くので、また行ってみようかと思います。
現役時代をご存知とは、羨ましい!
加世田から枕崎、現在バスの時刻表上の所要時間が40分(ほぼ定刻でした)。
廃止直前の時刻表をみると鉄道の所要時間が列車交換無しの一閉塞で40分・・・。
遅っ・・・廃止になる訳ですね。
『前面6枚窓』のディーゼルカーが現存するのはココと門司港と柵原(=動きます)。
機関車2両(SL、DL)はバスロータリーに屋外展示されていますが、その他の車両はバスの車庫に窮屈そうに保管されています。
バスターミナルに(かつてはココが駅だったことを示す)目新しい案内板が設置されていたり、これをきっかけに『観光資源』として見直されると良いですね。(私も、コレが無ければ加世田には行かなかったわけですから)
なんさつせん(代替バスの路線名)の乗車率はイマイチでした。
架道橋や、水路橋のガーダー・・・途中下車出来ずに非常に残念でしたが、30年以上経ったいまも、幽かに鉄道の痕跡が残っております。
鹿児島交通、一部のバスに『民営 鹿児島交通 赤字補填はありません 頑張ります』という標記のバスを走らせてます。
これがネット上で非常に評判が悪い(汗)
『本土最南端、佐多岬を占領していた会社』ですし仕方ないか(詳しくは、“佐多岬 いわさき”で検索しよう!種村直樹氏も、“外周の旅”で苦言を呈していたはずです。)
経営は楽ではないでしょうから、枕崎駅敷地の売却や、加世田駅跡地の貸借はその一環でしょう。
そういう懐事情なのに、いつ日の目を見るかわからない気動車をずっと保存しているのですから、よそ者から見れば、それはそれで称賛に値するかと思います。
(茨城交通のキハ11は、“大宮”と“名古屋”にお輿入れしましたが、もしやそれを狙っての保存だったか??)
鹿児島交通、島原、南海、有田、名鉄、小田急、富士急、定山渓・・・『社線の気動車が“国鉄線”に乗りいれてた』ところは、鵜沼の短絡線の分断を以って、全て無くなりました。
鹿島臨海、会津、京丹後、智頭、若桜、錦川、井原、のと・・・今でもしているところは多いですが、全て“もと国鉄線系(計画線含む)”ですし、だいたいがJRになってからの案件です。
もう少し気兼ねなく見られる安住の地が見つかると良いのですが・・・。
「全面6枚窓」、キハ100型ですね。
この車両、総括制御ができず、2両で運転する時は、それぞれに運転士が乗って、ブザーで合図しながらノッチを操作するって聞いて、ぜひ見てみたく思い、該当する列車に乗りました。
時代を感じます。
「国鉄に乗り入れていた社線の気動車」は、鹿児島交通のほか、島原、南海、名鉄は乗りました。
有田は見ただけ。
南近畿ワイド周遊券(大阪発はないので名古屋発を郵送で購入)で紀勢線をうろうろ、意識して南海車両に乗りました。
国鉄車両より、古臭い気がしましたね。
(ほかの保存車2両は同設計の国鉄キハ07ですね)
ATSが付いていなかったため専ら線内運用のみ。
総括制御の列車は残念ながら経験がありません。
シフトレバーのついたディーゼルカーも最晩年の南部縦貫のレールバスのみ。
社形のDCも、名鉄の新しいやつが会津に来てから2度ほど乗っただけです(もっと福島で活躍するかと思いましたけど・・・残念)
味のあるディーゼルカーに気軽に乗れた茨城交通や水島臨海も、世代交代でもはやふらりと気軽に乗ることが出来なくなってしまいました。
いまや、ディーゼルカーだろうと客車列車だろうと、一括りで『電車』と呼ぶ時代。
気動車にも電車並みの快適さ(特に音)が求められる時代。たまに来る人はオンボロに涙しますが、地元の人にしてみれば冷暖房の効きが良い新しい車両のほうが良いに決まっています。
老若男女なんでも鉄道車両を『電車』と呼ぶのも、烏山線のEV-E301や若松線のBEC819などの登場で、言葉に現実が追いつきつつあり・・・感慨深いですね。(EV-E301は非常に素晴らしいです。値段が高いみたいで普及しませんね。)
そんな世の中だからこそ千葉の公募社長さんのところが賑わうわけなのですが・・・(そういえば、その会社に絶属する小湊鉄道は、ロングシートながらレトロな車両を車掌鞄をもった車掌さんがこまめに回ってパッチンパッチン車補を発行して・・・、貴重といえば貴重ですね。)