父・宮脇俊三が愛したレールの響きを追って
……小海線の車窓を眺めながら「元気甲斐」を味わうという目的は達成された。だが、期待したほど楽しくはない。むしろ、物悲しい。天気のせいだけではない。これを食べていたときはいつも家族と一緒だったのに、今回は一人だからかもしれない。
鉄道紀行作家・故宮脇俊三氏の長女、灯子氏の初の鉄道紀行集。父を題材とした著作の2作目にあたる。前作は「親の七光り」という有体な批判もあったけれど、彼女だからこそ描ける宮脇家の姿はリアリティがあった。私をはじめとして多くの宮脇ファンは俊三氏の人柄を知り、尊敬を深めた。
さて今回は鉄道紀行を出された。これは「親の七光り」×「2匹目のドジョウ」であって、宮脇俊三ファンの一部からはさらに強い批判もあった。実は私も「これはあざといなぁ」と思った。世田谷文学館で開催された宮脇俊三展を見たときも、売店に並んでいたけれど通り過ぎた。俊三の娘は俊三にあらず、と思ったからだ。
しかし、その帰り道に気が変わった。
私は宮脇氏が手がけた阿川弘之氏の本を探すため、ブックオフに立ち寄った。少年時代に『南蛮阿呆列車』を読了していたし、その前に『機関車やえもん』の作者だからと『山本五十六』も読んでいた。その時は『お早くご乗車願います』を探した。そこで『あ』のコーナーを見て驚く。阿川弘之氏の本よりも、阿川氏の娘、阿川佐和子氏の本のほうがたくさん並んでいたからだ。現代の人々に親しまれている作家は娘さんのほうだった。阿川佐和子氏は私が少年時代によくテレビで見かけたタレントさんで、優しいお姉さんという好感があった。そんな佐和子氏の著作がこれほど多いとは!
阿川弘之氏が2冊、佐和子氏が1段。その陳列棚を見た私は、いつか宮脇家もこうなるかもしれないな、と思った。10年後、20年後の人々は、古典となっているだろう俊三氏の著作より、灯子氏の感性に呼応するのではないか。そう思い至ったら、急に本書が読みたくなった。新刊書店へ引き返す。帯の『同行二人』の言葉に、いいこと書くなあと思ったら、実は私も灯子氏の前作の書評で使っていた。
さて、本書についてだが、まずタイトルが字あまり過ぎてダメだ。ちゃんと座っていない。俊三氏なら絶対ダメ出しをするに違いない。商売的に俊三の名を入れたい気持ちはわかる。それでも他にやり方があるだろう、とツッコミを入れたくなる。けれど、内容は良い。とてもよい。紀行文としては父のセンスに遠く及ばない、それは本人も承知のはずだろう。しかし「俊三氏の作品を元に、ゆかりの土地を旅する」というスタイルの紀行文はとても楽しく読めた。灯子氏は父の著作を読んでいなかったと書いているが、けして読書嫌いではない。むしろかなり読書好きなのだろうと思わせる。また、「青森のカシス生産が日本一」などと、得意分野の洋菓子からの知識もある。そんな新しい感覚がいくつも見受けられた。「親の七光り」と言われようとしても、父の模倣ではない。女性紀行作家、エッセイストとしての独自の持ち味がある。
紀行文において、作家の足跡を辿るという分野は歴史分野と同じくらい安定的な人気があるという。「『坊ちゃん』の舞台、松山を歩く」といった類だ。そういう分野に初めて宮脇俊三氏をテーマとする作品が現れたわけだ。しかもその著者は実子である。これほど適任者はいないのではないか。足跡モノでは題材となる作家や作品を追うために、その作家のエッセイなども掘り下げてエピソードを補完していく。それが実子の場合、本人から直接、日常の会話の中でさまざまな話を聞いている。誰にも真似のできない『宮脇俊三論』がここにある。そういう意味でも、宮脇ファンは偏見を捨てて読んだらいいと思う。
「鉄道乗りとしてはヨチヨチ歩き」と作者は書いている。これから大きくなるぞ。もっと成長するぞ、という気持ちがこめられたと感じた。ならば、期待したい。そして、女流紀行作家として新しい道を拓き、宮脇灯子のファンを獲得したらいいと思う。いつまでも宮脇俊三ネタというわけにも行かないし、父への思いを封じて書くときも来るはずだ。そのとき、宮脇俊三ファンは離れてしまうかもしれないけれど、それよりももっと多くの若いファンを獲得できるに違いない。阿川弘之氏と阿川佐和子氏が異なるファン層を持っているように。
ところで、どことなく寂しげな文体が俊三氏からの遺伝だとしたら、灯子さん、ちょっとそれは心配ですよ。私と同じ世代なんだし!
阿川弘之氏が2冊、佐和子氏が1段。その陳列棚を見た私は、いつか宮脇家もこうなるかもしれないな、と思った。10年後、20年後の人々は、古典となっているだろう俊三氏の著作より、灯子氏の感性に呼応するのではないか。そう思い至ったら、急に本書が読みたくなった。新刊書店へ引き返す。帯の『同行二人』の言葉に、いいこと書くなあと思ったら、実は私も灯子氏の前作の書評で使っていた。
さて、本書についてだが、まずタイトルが字あまり過ぎてダメだ。ちゃんと座っていない。俊三氏なら絶対ダメ出しをするに違いない。商売的に俊三の名を入れたい気持ちはわかる。それでも他にやり方があるだろう、とツッコミを入れたくなる。けれど、内容は良い。とてもよい。紀行文としては父のセンスに遠く及ばない、それは本人も承知のはずだろう。しかし「俊三氏の作品を元に、ゆかりの土地を旅する」というスタイルの紀行文はとても楽しく読めた。灯子氏は父の著作を読んでいなかったと書いているが、けして読書嫌いではない。むしろかなり読書好きなのだろうと思わせる。また、「青森のカシス生産が日本一」などと、得意分野の洋菓子からの知識もある。そんな新しい感覚がいくつも見受けられた。「親の七光り」と言われようとしても、父の模倣ではない。女性紀行作家、エッセイストとしての独自の持ち味がある。
紀行文において、作家の足跡を辿るという分野は歴史分野と同じくらい安定的な人気があるという。「『坊ちゃん』の舞台、松山を歩く」といった類だ。そういう分野に初めて宮脇俊三氏をテーマとする作品が現れたわけだ。しかもその著者は実子である。これほど適任者はいないのではないか。足跡モノでは題材となる作家や作品を追うために、その作家のエッセイなども掘り下げてエピソードを補完していく。それが実子の場合、本人から直接、日常の会話の中でさまざまな話を聞いている。誰にも真似のできない『宮脇俊三論』がここにある。そういう意味でも、宮脇ファンは偏見を捨てて読んだらいいと思う。
「鉄道乗りとしてはヨチヨチ歩き」と作者は書いている。これから大きくなるぞ。もっと成長するぞ、という気持ちがこめられたと感じた。ならば、期待したい。そして、女流紀行作家として新しい道を拓き、宮脇灯子のファンを獲得したらいいと思う。いつまでも宮脇俊三ネタというわけにも行かないし、父への思いを封じて書くときも来るはずだ。そのとき、宮脇俊三ファンは離れてしまうかもしれないけれど、それよりももっと多くの若いファンを獲得できるに違いない。阿川弘之氏と阿川佐和子氏が異なるファン層を持っているように。
ところで、どことなく寂しげな文体が俊三氏からの遺伝だとしたら、灯子さん、ちょっとそれは心配ですよ。私と同じ世代なんだし!
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