全柔連の再建を心から祈る

2013.05.29 Wednesday 18:26
ott_sugi


image[100_4755]100_4755 / misawakatsutoshi
私はレスリングの為に、合気道や柔道も学んだ。一応、有段である。これまでの私の経験から、選手にもっとも大切な要素は稽古だといえる。それは指導者の良し悪しよりも重要だ。

高校、大学と10年間、そしてレスリング現役時代。私には指導者がいなかった。

高校でレスリングを始めた時からコーチはいなかった。皆、見よう見真似の自力更生と考え、努力の毎日だった。だから高校時代の数十回の試合はすべて負けだった。毎日悔しかった。理由は、技を知らないからだった。

そこで出稽古を決心した。練習は他の大学道場だった。6大学のよしみで、慶大、明大などへ行った。何処も好意的だった。ありがたかったなぁ。

一番長い間お世話になった道場は、石井庄八先輩がいた中大道場だった。石井庄八先輩は1952年のヘルシンキ五輪で日本選手団唯一の金メダリストとなった。戦後初の日本人金メダリストでもある。その中大道場には大学卒業後も通った。中大の選手たちは私を中大OBだと思ったそうだ。

私がローマ五輪出場を果し、全米選手権、世界選手権をはじめ、世界への夢が実現できた根源は、中大道場にある。世界最強の選手達の稽古でもまれた"切磋琢磨"だ。

チームスポーツも個人力の結集、それぞれの能力を上手く引き出すには指導者の手腕によるところも大きい。

しかしレスリングや柔道は"一対一"の格闘競技。稽古相手に勝つことから挑戦がはじまる。私は10年間、コーチ、指導者もなく選手生活を過ごした。強くなる為には練習と試合しかない。そして強い選手を見習う。これが大切! 単独の10年間だから、愚痴を聞いてもらう相手もなく、愚痴る理由すらなく、愚痴を言う暇もなく。ただ夢中に稽古と技の研究に励んだ。そして、自己流の技が勝ちをもたらした。

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