イジメられた思い出 疎開時代

2012.10.20 Saturday 11:29
ott_sugi



その後、村でも学校でも噂が広がり、その日以来私への暴力はすっかり止まり、友達も増えた。

家族との疎開。2年間の自給自足のニワカ農業とイジメの経験は、その後の人生に大きな自信と勇気を与えてくれた。戦争中で食べる事が第一で、イジメも暴力的ではあった。しかし、現代のイジメのような陰湿なものとはちがった。辛い経験ではあったが、現在の事件のようには至らなかった。

■今のイジメ

文部科学省によると、イジメとは

「相手に肉体的心理的な苦痛をあたえ、その快楽を楽しむことを目的に行なわれるさまざまな行為」

とある、ピンからキリまで様々な行為があるという。あの大津のイジメ事件は、私が想像するに、どうも最初は「けなし」「茶化し」「イビリ」だ。それが昂じて「ゆすり」「たかり」「暴行」とエスカレートしたように思える。

「最悪となる前の相談を」と関係者はいうが、自分の経験では、両親や、先生に相談など、なかなかむずかしい。告げ口などは自尊心が邪魔するし、結果として大きなイジメとなって返ってくる。その恐さが先に立つ。

そこで重要なのが、担任はじめ周囲の先生や校長教頭と連携した生徒観察だ!

大津市の中学生自殺事件を知ったのは確か2012年7月の初旬。ネットの報道を読むと、自殺事件は、2011年10月11日だという。なぜ、今頃になってから騒ぎ出したのかと思ったら、自殺した息子の死に対して、父親が訴訟を起こし、マスコミが報道し始めたからだ。それまでは、学校長も教育委員会も事件をひた隠し、事実を隠蔽工作! 50名近くの教員も右へ習え。

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