三島由紀夫さんの眼光

2012.10.01 Monday 00:16
ott_sugi


1961年春、三島由紀夫さんが朝霞自衛隊体育学校における日本レスリング協会主催春の選手強化合宿を見学にきた。

私は強化コーチで選手の指導中。誰も三島さんに気付かず、そのうちに付き人が折りたたみ椅子を持ち出し、体育館道場の隅に三島さんを導いた。三島さんは両膝を合わせ、姿勢を正し、両腕を組み、マツト上の練習に見入っていたようだ。

50分程して、私がマットを下りて行くと、三島さんは練習の様子に感動したらしく
「なぜレスリングは、こんなに強くなったのか?」
と問うので、私は次のように説明した。

日本レスリングは、毎年の米国武者終業を元に、世界の強国のトルコ・ソ連・ブルガリアなどへ遠征修業でしている。外国の技の習得に努力し、選手皆が持ち帰った技を、他の選手に伝える。それと同時に、日本武道の精神や、合気道・柔道の技を取り入れて、日本人の体に合った、日本レスリングを目指している、と。

image[P2130044.jpg]要するに「八田式」だ。当時世間で言われた「八田イズム」「根性」「大和魂」のレスリングを強調して説明した。そしてこの合宿は「ローマの仇は東京で」を合言葉に、われわれローマオリンピックの惜敗メンバーが中心になって、指導していると説明した。

午後の練習は3時間で、最初の30分は準備運動スパーリング(組み合い)が2時間。訓話で練習は終了。

作家・三嶋さんが見学に来た時に私たちはスパーリングを開始した。私が三島さんに説明した時間は40分程度だったから、彼の見学は2時間以上だ。熱心に練習に見入る、三島由紀夫さんの眼光鋭い姿が印象深い。それまでの他の見学者とは異質な人物に思えた。

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