戦争と疎開

2017.06.05 Monday 00:34
ott_sugi


体験を積むほど、人は、たくましくなる。

ニワカ百姓、半年で一人前になる
終戦になるまでの2年あまり
私たち父母親子3人は伊豆韮山に疎開した。

一家での自給自足が始まる。
百姓ははじめてだがやるしかない。
素人には薩摩芋つくりがかんたん。
山の上の荒くを開墾して”サツマイモ作り”をした。
広い原野だったので、親子3人で毎日苦労し開墾した。
6キロ程の山道を登り荒地を毎日開墾。
にわか百姓にはサツマイモぐらいしかできないのだ。
image[Country Roads]
Country Roads / contri
だが農業は収穫までには時間がかかる。
収穫までの食いつなぎが大変だ。
物々交換。当時は金銭では何も買えなかった。
現金は無価値! 全て物々交換!

幸い我が家は東京で食品商だったので、
持参した缶詰類が物々交換に役立った。

物々交換で手押し車や農具を揃えた。
縁の下を囲い鶏も飼った。卵を近所に配るほどだった。
牛を飼い牛車も買った。
後に沼津競馬の乗馬も買った。
親子3人、よく働いたと思う。
サツマイモは大仁の東洋醸造に売ったこともある。
半年で一人前の百姓になったようで村人の評判になつた
image[牛車+water can]
牛車+water can / kashin1234
番長らとの喧嘩の後はイジメもなく、皆おだやかになり、
韮山小学校の授業は毎日、作業が勉強だった。
戦争の為の日本軍への勤労奉仕。
授業は朝から山での“松根油堀り”
全生徒で山に入り、松の切り株の根を堀り起こす作業。

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