電気のない時代を生きる 2

2011.06.21 Tuesday 13:48
ott_sugi



戦中戦後の一般家庭は、風呂、洗濯、飯炊き、料理など一切が人の労力だった。電気といえばラジオと部屋の明かりだけ。その他は機械モーター工業用などに使うだけ、と思っていた。だから生活に電気がなくても困らなかった。

昔は、どこに行くにも歩いた。なんでも自分でやった。だから今いう省エネも「できることは自分の力でやる」をこころがけることだ。

今まで、電気に頼り過ぎた。人間が動かなくなり、弊害として運動不足による病気も増え続けた。便利な電動化は不健康化につながり、人びとに怠け癖をもたらす。便利過ぎは、人を怠けさせる。それが進めば国を滅ぼすもとになる。このままでは日本は滅びる、日本の精神も滅びる。衣食住に足り、飽食、物余り。なにもかも過剰で便利な日本の時代は、原発事故を教訓、改める必要がある。一人一人が真剣に考え生活することだ。

わがままを控えること。便利さは人を不幸にする。何でも「自動」に頼り、便利を求める時代は終った。これからは贅沢を控え、できることは自分でやる心を養いなさい。震災直後に石原東京都知事が「我欲を捨てろ」と言った。同感だ。電気があれば何でも自動化という便利さは、過ぎると人を不幸にする。

戦後66年。復興から世界が驚くほどの経済発展を遂げた日本。しかし原発を得て電化繁栄という時代は過ぎた。世界一平和な国と言われた日本も、過去13年連続で3万人を超える自殺者だという。経済発展もいい加減にすべきだろう。

震災と原発事故を教訓に、エネルギーについて考え、自らのライフスタイル考えるときだ。長い歴史の中で常に自力更生をスローガンに国つくりをした、かつての中国を見習うべきだ。それにはまず「自分の身体は自分で管理」の率先垂範だ。自分の心と体を鍛える、なんでも自主的に行動する。電気の自動化ではなく、「自分の自働化」だ。省エネ、節電は「自働化」から。体力作り、健康管理の第一歩ともなり、節約と健康の一挙領得だ。

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