電気のない時代を生きる 2

2011.06.21 Tuesday 13:48
ott_sugi


■終戦後の耐乏生活と人間の力

震災復興救援活動と、私が体験した戦災復興が重なる。大空襲で焼け出され、命からがら逃げのびた生活。そんな66年前と今は雲泥の差。昔は働かざる者食うべからず。今は生活保護。実に感慨深い。

戦中戦後、私たちは衣食住のすべてが耐乏生活だった。老若男女、みな我慢した。日本中すべて物資欠乏だから、不平が言えない。敗戦直後、海外からの引き揚げ者には援助があった。しかし一般人に対する政府による生活保護など聞いた事がなかった。健常者は頭脳労働、肉体労働。一億みなよく働いた。「働かざるものは食うべからず」が当たり前だった。それに引き換え、今は200万人が生活保護を受けるという。終戦後の2004万人に次ぐ多さ。しかし、どうも今は「働く気力の乏しい若者中年」要するに覇気のない人間が増えただけだと思う。だからこれからの日本に不安がある。

戦後は誰も助けてくれない時代だった。町は焼け野原。しかし失業者は見当たらなかった。ほとんど皆、なにかしら動いていた。モク(タバコの吸殻)拾いに釘拾い、靴磨き。それでも生活が苦しいといって自殺する者も聞かなかった。敗戦から復興へ。夢に向かう、逆境を精神的に生きるという強さがあった。今はそれに欠けている。教育や家庭環境に問題があると思う。

今の世は、こどもに限らず誰にも過保護だ。戦後の頃は違う、何事も自分の事は自分でやった、やらざるを得なかった。生死の境を生きのびる。B29爆撃機が雨のように投下する焼夷弾。ただ逃げに逃げた。恐ろしかった。夢中で走るうちにそれも忘れた。ただ走る。あれが生死の境だった。よく逃げたと思う。あれは韮山疎開の、山の開墾労働で鍛えた体力と根性だ。

[9] >>
comments (0)
trackbacks (0)


<< 電気のない時代を生きる 1
大震災に思う - 私の戦争体験 目次 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.23R]