あしあと <3> 疎開先の臭い話

2010.11.25 Thursday 00:06
ott_sugi


米国と戦争がはじまり、B29が東京上空に飛んで来た。「本土爆撃が始まるぞ、逃げろ! まずは都外へ」と言うことで、小学2年生の時に川崎市高津区久地に引越した。二子玉川から橋を渡った所だ。しかし高津小学校は1年足らず。空襲が激しくなり、一家は伊豆の韮山に疎開した。

小学校の3、4年を韮山小学校に通う。毎日4キロの歩きである。勉強より、山へ松の根っこ堀りの勤労奉仕の作業が殆んどだ。軍隊がエンジンに使う松根油の為であった。

イナゴ取りの日もあった。竹の節を両方切り落とした竹筒に布の袋をくくりつけた道具を持ち、田んぼに出る。夢中になって取ったイナゴを竹筒に入れていくと、いつしか袋いっぱいになる。これは供出して、戦地の兵隊さんの蛋白源になるのだ、と言われた。戦争に勝つためだという事で、皆良く頑張ったと思う。

韮山には、たしか2年近く暮らしたのだが、ある日突然、杉山五郎さんが家にやって来た。東条英機総理大臣の弟さんが、家族がお忍びで疎開してきたという。「東条さんの息子さんは、お宅の孝さんと多分同学年だと思うので、是非友達になってやって貰いたい。私の家は娘ばかり。だから是非面倒みてやってもらいたい」と頼みにきた。

東条さんは東京の人たちだし、お忍びだから噂が村に広がると困る。結局、何となく友達のようにして、村の回りを案内した。蛭が小島とちいう、源頼朝が島流しにされたというところや、日本で最初に大砲を作った反射炉などを見せるなど遊んでやったが、毎日だと疲れたので、本人も疲れるだろうと思い一日休んだ。

その次の日が大変だった。「東条さんが大変だ」と杉山五郎さんが我が家に助けを求めてきた。家の両親もびっくり。聞けば、東条さんの息子が畑の肥溜めに落ち、首まで漬かりまだ其のままだという。「村のすぐ近くなので助けに来てくれないか」と請われ、親父と出かけた。幸い肥溜めには半分ぐらいしか肥えが無く、顔まで浸かっていなかった。

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