沖縄少年の船

2015.08.21 Friday 14:47
ott_sugi


1971年、横浜市の藤が丘という町に住んでいた頃、
イワキノブコさんという女性が訪ねてきた。
少年の船という計画があって、
教育者として参加してほしい、参加者の募集にも協力してほしい
という話だった。

少年の船は、貸切客船を教場として
少年を船上教育しながらアジア諸国を訪ねるという。
始めは沖縄に行きたい。
激戦上陸の砂浜で、戦没者の慰霊のため“うみ行かば”をみんなで歌う。
その後、姫ゆりの塔など激戦の跡地を訪ねあるくという。

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写真素材 足成:客船


話し合いはかなり長い間、たぶん数時間にわたったと思う。
もっと長かったような気もする。

海上で650人の安全保障は無いという。
そんな彼女の説明を聞きながら、それでいいのかと自問自答。

 (Web担当より補足)
 海上どころか、沖縄だって安全とはいえない時期だった。
 沖縄はまだ米国占領下だった。本土復帰はその翌年、1972年だ。
 そして前年には沖縄でコザ騒動という暴動が起きていた。
 沖縄では米兵の犯罪が横行していた。
 しかし米軍の裁判で、いくつもの事件がうやむやになるなど、
 沖縄の人々は不平等な立場だった。
 米兵が酒酔い運転で沖縄人の女性を轢き殺した。
 これで沖縄の人々は我慢の限界に達した。
 3か月後、別の米兵が沖縄人を車ではねた。
 それがきっかけで、沖縄の一部の人々が暴徒化した。
 これがコザ騒動であった。

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